賛同しても信者にならない:日本人が陥る「情緒」の罠
「信者」になりやすい日本人。
最近の政治情勢を見ていると、そんな危惧を抱かざるを得ません。
高市総理の誕生に至るプロセスで見られた、アイドルさながらの熱狂的な支持、いわゆる「サナ活」。新しいリーダーへの期待は理解できますが、そこには論理を超えた「情緒的な一体感」が漂っています。しかし、この客観性を欠いた熱狂こそ、日本人が歴史的に繰り返してきた悪癖ではないでしょうか。
「精神論」という名の思考停止
かつて日本は「竹槍でB-29を落とせる」「神風が吹くといった、論理的にあり得ない精神論に縋って破滅しました。
現代の「この人なら日本を救う」「ワクチンで全て解決」という極端な信仰も、根っこは同じです。不都合な真実を直視せず、自分たちの信じたい「物語」に逃げているに過ぎません。
期待という名のフィルターを外す
高市氏についても、冷静な視点が必要です。 彼女は「失われた30年」の自民党政治のど真ん中にいた人物です。安倍政権下でも閣僚を歴任し、現在多くの国民が苦しんでいる経済状況を作ってきた側の一端を担っています。
ジャンヌ・ダルクのように突如現れた救世主でもなければ、若手改革派でもない。過去の言動を冷静に分析すれば、過度な期待を寄せる根拠は乏しいことに気づくはずです。案の定、総裁選や選挙での公約は、政権発足後に早くも形骸化の兆しを見せています。それでもなお熱狂が冷めないのは、人々が「実像」ではなく「理想の影」を追いかけているからでしょう。
「丸呑み」を排し、是々非々で向き合う
僕は特定の政党を全否定はしません。
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参政党のように、新しい風を国会に送り込んでほしい勢力もある。
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自民党の政策にも、評価できる点はある。
大切なのは、対象を「神聖不可侵」なものとして丸呑みにしないことです。「ここは評価できるが、ここは危うい」と個別に判断する「是々非々」のスタンスこそが、民主主義における健全な「個」の在り方です。
自己否定を恐れる心理が「攻撃」を生む
なぜ人は信者化してしまうのか。その正体は、「自分の選択が間違いだった」と認めること(自己否定)への恐怖心です。
例えば、ワクチンの副作用という「事実」に目をつぶる心理もこれに似ています。「自分が信じて受け入れたものが、実は有害だったかもしれない」という不安に耐えられないため、異論を唱える人を「反ワク」とレッテル貼りして攻撃し、自分の正しさを守ろうとする。
しかし、「0か100か」の極端な思考は、結果として自分自身を危険にさらすことになります。
現代を生き抜くための「マージン」
「賛同はしても、信者にはならない」
情緒的な熱狂から一歩引き、常に「もし自分の判断が間違っていたら?」という余白(マージン)を持つこと。権力や流行を盲信するのではなく、常に疑い、検証し続ける姿勢。それこそが、情報が氾濫する現代を生き抜くために必要な、最低限の「知性」なのだと私は確信しています。



