お客様は神様ではない 労働者は召使いではない

お客様を神様にしてはいけない




お客様を神様にしてはいけない理由

お客様を神様にしてはいけない 。働く者にとっては、お客様は神様だとよく聞く。昭和の大物歌手 三波春夫 氏が「お客様は神様です」と言ったことから、いつのまにか仕事の場面で用いられるようになり、取引先との主従関係や摩擦を生み出す。悪しきキーワードとなっている。

「お客様は神様」を社是にしている企業もある。しかし僕は、お客様は神様を実践すると、やるべき事に集中できずに、いずれ事業が傾くと考えている。寧ろ、労働者が客を生かしている労働者が神様の場合もあるのだ。色んな経験から現在に至る考えだ。

お客様を神様にしてはいけない そもそも取引先とは何なのか

取引は、WIN WIN で回る。古い言葉で言うと、近江商人の売り手と買い手が得をし世間の役にも立つ「三方よし」のルールで成り立つのが理想的だ。

経済活動は、格差を生み出すが、しかし一方があまりにも損をする。意図的に損をさせる、ブラック企業や低賃金の途上国の人々の労働力など、支配する側と搾取される側の構造が問題になっているが、人の弱みに付け込んだ到底、取引と呼べないものだ。

本来、売り手も買い手も得しないと経済はうまく回らない。お客様は神様だと言い、売り手が一方的に苦しい思いをすること自体が既に商売として成立していない、成立していたとしても必ずいずれ歪みが発生する。

店員に求めすぎる客と、客に感謝しない定員

日本の「おもてなし」は、海外から驚きと感動の声が寄せられている。海外の定員の態度と比べると雲泥の差がある。

かたや日本人の自称海外通からは「日本はやりすぎ、海外は平等」こんな声が聞こえてくる。

しかし、店員に求めすぎるのも、店員が客への感謝がないのも、どちらかが我慢する状況は「三方よし」とは程遠いだろうし、良い循環は生まれない。

客も丁寧な対応なら気持ちが良いし、定員もそれに対して感謝があれば働く意欲も湧いてくる。

店員は、客のおかげで利益を上げ収入を得る。客は店員のおかげでサービスを享受し満足し場合によっては大きな利益を上げる。売り手買い手、決してどちらかが一方的に面倒を見てやっている、しもべ、下僕、召使いの構図ではない。

お客様は神様ではない僕の経験

僕の仕事は企業の利益に貢献すること、スポンサーや広告主、発注者、依頼者、仕事の成果によっては取引先に大きな利益をもたらす。

僕が関わる案件で、企業は前年比プラス4,000万円の利益が出た。

その金額は、支払った以上の価値のある成果だ。

お客様にとっては、僕達こそ神様だと思う。しかし、お客様が我々を尊重してくれるから、大きな顔も恩を売ることもしない。

「お客様は神様だ、取引先よ、お前ら下僕は、言うこと聞けよ」このような態度が心の内に見え隠れするならば、取引先をお断りすればいい、損をするのは客自身。

ある企業からの案件で、企業側からコスト削減をしなければならないとのことで、減額を求められた。

しかし、コスト削減の矛先を真っ先に、取引先に向けるのは、顧客自身の首を絞めるようなものだ、

コスト削減するならばまず自身の社内でできることがあるはず、

例えば、ウォータサーバーを止める、フロアマットは自分達で綺麗にする、節電する、移動費用を抑えるなどできるはずだ。

業務に直接関わる大事な取引先にコスト削減を求めるということは、取引先からのサービスの質は落ちるということ、それは顧客に跳ね返り事業に響く。

お客様は神様の精神を顧客自身が振りかざすと、良質なサービスを享受するチャンスを失うということを理解しないといけない。

良い店員を求めるなら、良い客でいないとならない、

それは、コンビニの店員さんからタクシーの運転手さん、誰に対しても、働く人全てに当てはまる。

お客様ではあるが、神様ではないのだ。

お客様を神様にしてはいけない まとめ

「お客様は神様」

この言葉を鵜呑みにすると、売り手も買い手も損をします。

売り手は、利益も上がらず精神をすり減らし、サービスの質も低下する。

買い手は、良質なサービスを受けられなくなり、得られる満足度や利益も減る。 

文明社会で生きる僕達は、買い手でもあり売り手でもある。

客はお客様ではあるが、神様ではないと心に留めておくべきだと思います。

それではまた。

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