教わってはいけない先生

教わってはいけない先生




誰から教わるかで人生が変わる

教わってはいけない先生 について。誰でも人から何かを習う機会がある。義務教育や高校、大学などはもちろん、バイト先、職場、習い事、こんな先生には、教えてもらわない方がいい先生には大きな特徴や傾向がある。

学びというのは辛抱が必要だ、しかし教わる相手が悪いと、成長どころか寧ろマイナスになる場合もある。

もし、これらの特徴や傾向に気がついた場合、時間を無駄にする前に可能であれば先生を変えた方がいい。

やむ終えない事情や制約があり変えられない場合は、自分だけに非があるわけじゃない「この人は教える資格のない人だ」と心の中で思ってしまおう。

教わってはいけない先生 特徴

  • 教える側が教えている内容を生徒に「好きになってもらいたい、苦にならないようになってもらいたい」感情を感じられない
  • 自分の価値観を押し付ける
  • 教わる側が、間違えた時に意識が先生の感情に向いている時

教える側が教える内容を好きになってもらいたい等の感情を感じられない

例えば、ピアノを弾くことが好きではないもしくは、ピアノが嫌いなピアノ講師から習うのと

ピアノを弾くことが好きな講師、生徒にピアノの良さを伝えたい講師。

もしピアノを習うなら、後者の方が生徒は成長できるだろう。

義務教育でも、単純に安定しているから公務員を選んだ教師と、子供が好きで、未来を子供達に託したい先生では差がつくのは当然。

熱い情熱でなくても、先生がその科目や教えることに愛情を大なり小なり持っているか観察しよう。

たとえ、教えることがビジネスであっても、ビジネスの根っこに情熱や思いやりがないと、生徒は違和感を覚え勘付くものだ。

余談だが、親が子を育てるのも、愛情を持って育てるのか、生まれたから死なせると面倒だから仕方なく18歳まで育てるのか、まるっきり意味が違う。

自分の価値観を押し付ける

先生が教える科目に愛情を持っていても、自分の体験した価値観を押し付けてくるのは危険。

「普通は〇〇できて当たり前」

「貴方と同じ年齢の〇〇さんはもっとできるよ」

先生というのは、その分野においては、生徒より熟練者であり、つい生徒を見下す発言や他の人と比較したり、自分の方が上だと思ったり、

生徒が反論しないことをいいことに自分のイデオロギーを一方的に聞かせたり、そういった気持ちが態度に出てしまうことがある。

実際、

僕の小学校時代の社会の授業で、やたらと戦時中の日本人は残虐だと、教科書以上のこと、自身の価値観を刷り込んでくる先生がいた。

社会人になって通った。英会話スクールの日本人講師は、ひっきりなしに「こんなことも知らないの?」などの揚げ足取りや「日本人は外国人と比べて〇〇だ」「日本語はめちゃくちゃだ」などと愚痴愚痴と日本を卑下する発言などをする講師がいた。

生徒の習熟度を何かと比較したり、教えている内容からイデオロギーを展開する先生から、教わると時間の無駄だ。

教わる内容と全く関係なく、先生のベクトルの向いている先は、生徒ではなく自分自身へであり、ステージの中心は自分、生徒は観客席、ひな壇に座っているようなものだ。

やはりというか、学校の先生は教師を引退。英会話の講師は全く人気が無かった。

教わる側・教える側の問題

もちろん生徒にも問題がある。

学ぶことは根気がいる、学びの過程では間違いの連続だ。

当然、間違いは指摘されるものだ、その間違った後の感情が、先生や講師の顔色を伺い始めたら考え直した方がいい。

指摘されることを恐れて、人の顔色を伺う、教わる側の問題もあるし、

生徒が間違えた時の、講師のイライラした態度が表に出て、生徒を萎縮させている場合もある。

いずれにせよ、気持ちが学びに向いておらず、相手の感情に向いていては、学びの効果も薄いだろう。

指摘されることで、楔を打つきっかけにもなるが、教える側の飴と鞭は使いよう、偏った考えは禁物。

教わってはいけない先生まとめ

もし現在、教えてもらう立場で何らかの違和感を感じている場合、冷静に以上のことを確認してみて下さい。

教える側、教わる側、人間同士、相性はあります。初めは相性が良かったけれど、途中で相性が悪くなることもあります。

違和感の正体がわかれば、自ずと行動の選択肢は決まってきます。

それではまた。

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