若者と年長者の埋められない差

歳を取るのが怖い




歳を重ねるメリット

歳を取るのが怖い 若い人が羨ましい。そんな感覚に陥ることはないだろか。形ある物はいつか壊れる。理解しているが自分のこととなると、なかなか折り合いがつかない感情。

しかし、歳を取ることはそんなに悪いことだろうか。もし自分が10代や20代に戻れるとしたら、戻りたいとも思う反面、同時に今まで得た能力が相当に落ちる事は覚悟しなければならない。

(戻れるなら、能力はそのままで望むかもしれないが、それはそれでつまらなさそうだ)

今まで、読んだ本や聴いた音楽、見た景色、流した涙、逡巡と巡らせた思い、悔しさ、後悔、笑ったこと、大小様々な達成感、それらは人それぞれだが、若い時には持っていなかった経験。

若い時には自制が難しかった欲求や怒りの発散。自分を客観的に見る精神なども経験を重ねないとなかなか身に付かないもの。

結局は若い自身は無力で知識も足りず戻れても結果は変わらないと思う。

歳を取るのが怖い 歳を重ねたから得られる財産

歳を取るのは怖いと感じるのは、自分の残された時間が減る恐怖や老いていく悲しさ、または単純に自身の死や家族や友人との別れが怖いのかもしれない。

しかし、それは年齢が若くても同じこと、事故や病気で身体が不自由になったり、人はいつ死ぬかわからない。

寧ろ歳を重ねたから得た経験や知恵、教訓、受け入れる心、向き合い方など、若者と年長者には埋めることが容易ではない経験という財産がある。

若者は行動力や肉体的若さを、年長者は歳を重ねた分の財産を持っている。

若者も年長者も若さという財産を活かせてる人は少ないのが実情だろう、若い頃は時間が永遠のように錯覚し、つまらないことに時間を浪費しがちだ。

人との別れについても、親の死や、友人との別れ、好きな著名人の死など辛いと思うことだが、いずれ自分も人生というマラソンのゴールに到達する。

怖いと思うなら、そこに目を逸らさず、これからの過ごし方に真剣に向き合っていけるはず。それも含めて財産になり沢山のことを得られるのではないだろうか。

老人の多くは死ぬのが怖くないと言う、様々な出会いと別れを経験し、自分だけがとり残される恐怖が無くなっていくそうだ。始まりがあれば終わりがある、自分もいずれゴールを迎えるという、自身の生死に折り合いがつくのだろう。

歳を重ねること まとめ

僕は子供の時、はっきり言うと老人が嫌いでした。うるさいし、デリカシーがなく、身嗜みもだらしない汚いイメージを持ってました。

しかし、周りの環境がそうだっただけで、今となっては素敵な年齢を重ねている方々をインターネットのおかげで見聞きする機会も増えました。

なかには80歳のアプリ開発者のお婆さんや、90代のゲーム実況のご婦人

もちろん80代90代で、快活な人は稀かもしれないですが、30代から60代と経験を積んでそれを糧としていく時間はあります。過去も大切ですが、過ぎ去っていく時間を嘆いていても、過去はどんどん遠のき未来は常に目の前にあります。

時の流れは早く感じますが、しかし本来ならば人間には十分な時間が与えられています。古代ローマの哲学者セネカの「生の短さについて」にもその事が言及されています。ぜひ読んで頂きたい一冊です。

所さんのお話も興味深いないようですぜひ!

それではまた。

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人生の短さについて:セネカ


人生は浪費すれば短いが、過ごし方しだいで長くなると説く表題作。逆境にある息子の不運を嘆き悲しむ母親を、みずからなぐさめ励ます「母ヘルウィアへのなぐさめ」。仕事や友人、財産とのつき合い方をアドヴァイスする「心の安定について」。古代ローマの哲学者セネカが贈る“人生の処方箋”。

著者略歴

セネカ,ルキウス・アンナエウス
1B.C.‐65A.D.ローマ帝国の属州ヒスパニア・バエティカのコルドバに生まれる。カリグラ帝時代に財務官として活躍する。カリグラ帝が暗殺されクラウディウスが皇帝に就くと、その妃メッサリナの画策により姦通罪に問われ、コルシカ島へ追放される。8年余りの追放生活ののちローマに戻り、ネロの教育係となる。ネロが皇帝に就任後は政治的補佐を務めるが、制御することができず辞表を出す。隠遁生活に入ってからは精力的な執筆活動をおこなった




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