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まずは昨日、先月、去年、過去の自分を越えよう
人と比べない生き方 とは、人と比較して悩む人に。
誰でも他人と自分を比べてしまう。
例えば
- あの人は仕事で成功している
- いいパートナーがいて理想的な生活をしている
- 家柄がいい
- 見た目がいい
- 人脈があるだから羨ましい
- あの人が憎たらしい
- 負けていて悔しい
- 敵わなくて悲しい
など。
結論、他人の人生を羨んだところで、自分の人生設定に何の影響も与えない、それなら無駄な時間を使うのをやめて自分の人生に集中しよう。
人と比べない生き方 自分を超えることを疎かにしない
人と比べたら、上を見ても下を見てもキリがない。あの人を超えたと思っても、上には上がいる。人と比べ続けると挫折する。
ライバルの存在は成長に繋がる。しかし最初のライバルは自分自身、人と比べる前に自分を超えて行くべきだ。
フルマラソンを走れる人と、1キロ走れない自分を比較しても意味がない、まずは現状の自分を超える。
あの人を超えたとしても、また最後に立ちはだかるのは自分、死ぬまで自分の弱さとの戦い。
スーパーマリオの生みの親、宮本茂さんは、自分のゲーム作りが忙しく、人の作ったゲームを見る時間がないそうだ。
他人の作った物を見るのは勉強になるが、結局は、他人との比較はイタチごっこになり、行くつく所は、最終的に他人と比較する時間が無いという状況になる。
自分に集中すると他人と比較する時間は無くなるし人生は短い。
人と比較するのは錯覚
あの人が羨ましい、あの人は恵まれている、あの人はラッキーだ。
それが何だ、それはその人がそういう設定で生まれてきたから仕方がない、他人がとやかく言う権利はない、干渉するこではない。
政治家の子供として生まれてきた子供と、親のいない環境で育った子供。彼らの歩む設定が違うのは当然。
しかし、何を持って成否が決まるのか、それは自分の感じ方次第。
他人が羨ましいのは錯覚だ。
他人の物差しで生きるなら、一生比較し続けて足りないという欠乏感を抱いて生きることになる。
他人の物差しで生きるとどうなるか
他人の物差しで生きると、成功者の失敗やスキャンダルを餌に、喜び、勝ち誇った気分になる。彼らの失敗が、自分にとって1ミリも影響がないのにも関わらず、無駄なことにエネルギーを使うようになる。そんなことをする為に生まれてきたのか。
自分の人生設定が人それぞれある
自分の人生はまるで映画のダイハードのようだ。
あの人の人生はジブリのような素敵な人生。
それって接点があるのだろうか?比べようが無い、競争にもならない。
脚本も監督も出演者も異なる。
せめて比べるならダイハード2やダイハード3のような人と比べるべきだし、
それでも人それぞれ持って生まれたコンセプトが違いすぎる。
親や兄弟、姉妹でも人生脚本は違う。
人と比べない僕の経験
昔、バイトで一緒だったOとは、長い付き合いでとても良い付き合いをしていた。このまま同じような人生を歩むんだろうと思っていたが。
10年以上の時間が流れる過程で、彼は人の紹介から結婚し子供をもうけて、アルバイトを経てその後に、派遣社員として自動車工場で働き、正社員として採用され、今は海外に派遣されて海外勤めだ。
昔の自分なら、何だか負けたような気分になるだろう。
しかし、自分は今メディア系の仕事に従事していて、全く自動車とは関係ない仕事についている。
そう、映画のショーンシャンクの空とスターウォーズを比較するようなもので、意味のないことだ。
当然、もし近い境遇ならどうしても比較してしまうが、
- あいつは親が金持ちだから
- 彼は大手企業だからチャンスが多い
- あの子は可愛いから可愛がられる
とか、何度も言うが一人一人シナリオが違う、だから自分の人生のシナリオを懸命により良くして行くよう生きるべきだ。
人と比べる生き方まとめ
縁は周り巡り影響するが、自分の人生脚本をしっかりと把握しておくことで、不要な影響を受けないで済みます。
極論を言うなら、人1人が死んでも、他人が破産しようが、友達に宝くじが1億円当たろうが、世界は何事もなく動く。
他人を羨んだところで、悲劇が起ころうとも、世界は何事もなかったかのように日々動いていくのです。
なんなら、地球がなくなろうとも宇宙は、何も気に病むことなく動いている。他人の人生がどうあれ、自分の人生脚本や設定は何事もなく動いているのです。それなら人と比べて気に病むより、自分の人生に集中した方が良いと思いませんか?他人の設定は関係ないはずです。
貴方は、どう感じましたか?ご意見ご感想は下のコメント欄からどうぞ。
それではまた。