選挙の時だけ連絡をしてくる 人いませんか?
選挙の時だけ連絡をしてくる 友達や知り合いの中に1人くらいは、そんな人がいないだろうか。
普段から付き合いがあるならば、まだ理解できるが、その時だけお願いをしてくるのは、他人を利用していることと変わりはない。
とても失礼な行為だと思った方がいい。
友達と言えるかも怪しい。
そんな人達の対策について考えてみた。
選挙の時だけ連絡をしてくる その人の事情
ネットを調べると、選挙の時だけ連絡をしてくるS学会の友達と縁を切ったなど多く見かける。
それだけ、感じ悪く受け止められているのだろう。
大抵の場合、S学会の人は選挙をお願いした人数を個人、組織の中で目標を立て達成する為に必死だ、
選挙活動も立派な信仰活動の一部で、功徳があると捉えられている。
僕の知り合いや、親戚にもS学会の人がいる。
今回の選挙の功徳は凄いなど、聞く事がある。
本当に功徳があるかどうかは、判断できないしメカニズムは分からない。
ただし、選挙をお願いするS学会の人が全員迷惑な人だと勘違いしてはいけない。
親切で常識のある人も多くいる。
そして、
一部、熱意がおかしな方向に向かって、周りが見えなくなり、正常な判断ができなくなり、犯罪スレスレのことを行う人がネットに書き込まれている非常識な人だ。
そんな迷惑な人の
上の上には、会員に指示を出したり、ヤル気を出させる事を生業にしている上層部の人間がいる。
友達にお願いしたらF票と呼ぶそうで、例えば活動家AさんはF100票など目標を達成する為に頑張るそうだ。
活動家Aさんは選挙で戦力になる。このような活動家を丸Kと呼ぶそうだ。
期日前に投票に行って貰えばZ票、F票はお願いしただけだが、Z票は実際に投票に行って貰った数を指す。
など信仰活動の熟練度のように、隠語を使いながら、数を暗黙の了解のように競い合わせている。
熱心な、彼ら彼女らも、根本にはそれぞれ悩みがあり、解決の糸口を探して信仰活動に希望を抱き、
結果、迷惑な行為に走ってしまった。
本来は純粋な人なのかもしれない。
選挙の時だけ連絡をしてくる人 僕の体験
僕の体験では、選挙が近くなると、5年ぶりに友達から着信があったり、
久しぶりに電話してくる友達は、「選挙があるからこそ会えるんだ。」などと開き直っていた。
他にも、仕事場の近所や家の前で帰宅するまで待っていたり。
更に酷いのは、休みの日に寝ているところ、迂闊にも鍵をかけ忘れたところ、勝手に部屋に上がり込まれ、起こされて選挙に連れて行かれるなんてことも
だいぶん昔にあった。
もう時効だと思うが訴えれば立派な犯罪だ。
当時、彼に中国が尖閣や沖縄や近隣アジア諸国の領土に対する野心的な行為についてどのような対応をしているのか聞いてみた。
彼は「難しいことは自分は分からない、でも公明党に任せておけば難しいことは考えなくてもいい、池田先生が作った政党を応援すれば国は良くなるし、功徳がある!」
このような驚きの回答をした。
無知とは怖い。
選挙の時だけ連絡をしてくる 対策
まず大前提、選挙権のある大人は選挙に行った方がいい、行っても変わらないと思い込んでいる人が多く。
投票率の低さから、民意が反映されていないことは、多々ある。
一人一人が一票を投じることは重要。
選挙を頼まれることは、どの政党に入れたいかしっかり、学ぶきっかけになる。
そこは良い機会と、とらえよう。
選挙をお願いする人には、選挙には行くけど自分で考えて投票すると宣言しよう。
宣言してしまえば、投票は貴方の権利、相手は手出しができない。
お願いされた政党が良いと思えば自分の意思で投票したらいいだけのこと。
選挙の時だけ連絡をしてくる まとめ
S学会の人の中にも、普段から交流があり下心なく親切な人や地域や社会で信頼されている人もいる。
そういう人のお願いや意見なら、聞いてみても構わないと思いますよね。
けれど数年音沙汰がない、学生のとき以来会っていない、そんな人が連絡をしてきて急にお願いをするのは、
された方からしたら、
とても失礼なこと、待ち伏せなどされたら嫌悪感さえ抱き、
寧ろその政党や組織が良いことを行なっていたとしても、イメージは逆効果。
誠実に頑張っている議員さんもいる。
それを伝えて理解して貰えるならいいけれど多分、伝わらない。
それなら、選挙はきちんと行って自分で考えて投票すると宣言しましょう。
下手に、口約束だけして、入れると約束すると、後々に新聞の勧誘や、セミナーや入会などのターゲットにされてしまいます。
あやふやな対応はしないこと、
勿論、納得して頼まれた政党に投票する、新聞の勧誘があれば読んでみる、セミナーに参加してみるのは自由です。
選挙のお願いをしてくるのは、S学会だけでは、ありません。
民主や社民、共産党系の組織に属している人も同じように活動を法律違反にならないように、行なっていると聞きます。
以上のように、納得できないのに、優柔不断、自信の無さを付け入られ丸め込まれそうなら、深く関わらないことです。キッパリ自分で考えた意思があると宣言することです。
それではまた。