死はさよならではない

人は死んだら無なのか




櫻井敦司さんを偲んで

人は死んだら無なのか についての考察。2023年の10月10月19日ロックバンドBuck-tick のボーカル櫻井敦司さんが、ライブ中に倒れ死去した。

巷ではコロナワクチンの影響ではないかと言われており、今年は芸能人の突然死が相次いでいるので勘繰る人の気持ちもわからないわけではないが、真相は何であれ

突然の別れは残された者には辛い出来事だ。僕は、Buck-tick世代ではなかったが、Miss Takeという曲のミュージックビデオを見て「カッコいいな」と感じ、ドレス、スピード、惡の華、Babel、Just one more kiss などを聴きはじめ、コロナ禍で週末にYouTubeで配信されていたライブも何度も拝見した。

ニューアルバム「異空-IZORA-」もとても良い作品で何度も聴いていたし、タイミングが合えばライブにも行きたいなと思っていた矢先の出来事で、ニュースを見た時に声を出した驚いた。

人は死んだら無なのか

生きていれば、人の死や自分の死は誰も避けられない、ホーキング博士などの有名な科学者には死後の世界や神の存在を論拠を持って否定する人もいる。

しかし、錯覚とは思えないような死後の体験をしてきた人の話も多くある。実態のない心は物質世界の身体に閉じ込められていて、死んだら身体から解放されて軽くなるという話もある。

また数学を研究する人の中には、数字の中に神がいると神の存在を肯定する人もいる。

僕の朧げな考えだが、死んだとしても何らかの現象が起きていると感じている。霊的な物がこの世に語りかけるわけではないかもしれないが、その人の意思は繋がって行く、事実、櫻井敦司さんの出来事でこのブログを書いている。

という事は彼の意思が、繋がって僕を動かしたということで、このブログを読んだ人に伝播する。僕以外にも沢山の人が行動して、人々に影響を与えるだろう。

有名人でなくても繋がる意志

有名人だから、大きな共感を得るのかもしれないが、僕達のような無名の庶民でも、誰かと交わした会話や、足跡は伝播していく、どんな些細なことでもいい、日々僕達は足跡を残して未来の糧になっている。

死んだ後も物質的には無にならない

物質は、無にはならないそうだ。灰や塵になっても物質をこれ以上小さくできない最小の素粒子単位で残るそうだ。

新しい生命もその素粒子の集まりで、ゼロから生まれるのではなく、この世界、宇宙に既にある素粒子から再構築されて新しい生命が誕生するらしい。

星も壊れた星の塵が集まって、新しい星が生まれる。物質は循環されると聞く。

(これらの解釈は調査済みですが、宇宙や量子や科学の話は未解明なことも多い為、もし間違えていたらごめんなさい)

死んでも無ではないと思った方がポジティブに生きられる

死が永遠の別れならば、この世は死の連続、この世は別れの連続、いずれ自分も無になると、生まれてきた残酷さに常に悲しんでばかりの世界にはならないだろうか。

「死んだら終わり」「どうせ死ぬから意味がない」などと虚無主義に陥ってしまう人もいるかもしれない

しかし、死んだ後の可能性を信じることで、ポジティブに生きられらのではないだろうか。

人は死んだら無なのか まとめ

何度でもやり直せると、死をリセットとして捉えたり、来世で頑張ろうなどと、投げやりになるのは僕は好きではないが

自分なりに一生懸命に今の人生を生きれば、次に繋がる。そう思えたら救われる人も多いのではないかと思います。

櫻井敦司さんもそうですが、マイケルジャクソンやプリンス、アーティストの訃報を聞くたびに2度と生の歌声や新作を聞けないと思うと残念ですが、彼らは今世での役割を終えて次に進んだんだと考えてはどうでしょうか。

家族や、友人、自身も同様に今世での役割を終えたら皆んな次に進む。

何せ、誰もまだ明確なことは分からないのですから、考えるだけなら自由です。ならば死後をポジティブに捉えた方がより良く生きられると思います。

平和で生きられる世の中に感謝し、それを持続できる努力をしながら未来に足跡を残し繋ぎ、悲しみを乗り越えながら、共に生きましょう。

それではまた。

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