やりたいことがない

やりたいことがない




何をやったらいいかわからない

やりたいことがない と言う人がいる。「将来やりたいことは?」と聞かれたらハッキリと答えられる人は意外と少ない。最初はそれでいいと思う。

僕もそうだ。

「何かを成し遂げるには覚悟が必要だ」とか「人生の登る山を決めるんだ」などと偉そうなことを言っているが、じゃあ具体的に「海賊王に俺はなる!」なんてワンピースのルフィのような大それた事や具体的なことは言えない。

ワールドカップで優勝します。グラミー賞を取ります。アカデミー賞を受賞します。オリンピックで金メダルを獲ります。

そんな舞台に立てるのは、数万人に一人で、ハッキリと目標がある人は稀だ。

だけど、ぼんやりと、やりたいこと、好きなこと、心地よいこと、それらはわかっている。

そんな人は多い。

やりたいことがない やりたいことは見つけるものじゃない、気がつくもの

やりたいことは無理をして探してはいけない、探すということは、そもそも関心が無いのだから。

多くの自分探しの旅が、思い出でだけで終わるのは、遠くにやりたいことを無理して求めるからだ、外国の空気を吸えば何か見つかるかも?なんてのは幻想だ。

自分が生活している身近で、ぼんやりとでもいい、やりたいこと、好きなこと、心地よいこと、を気持ちの赴くままに挑戦することだ。

途中で、挫折もあるだろう、しかし行動したことは、何処かに繋がって行き道ができる。

それは他人に依存して成立するものではなく、自立して行動し自分の足で立って挑戦すること。

行動は、楽器のセッションのようなものだ、時には対立したり、泣いたり、喜んだり、有頂天になったり、するだろう。

けれど、その1つ1つのメロディーやリズムは、互いにインスピレーションを引き起こし、次の展開が生まれる。

何処かに繋がって行くとは、そういうことだ。

やってみなきゃわからないの意味

やってみなきゃわからないの意味は、ハッパをかける言葉だけに在らず。

多くの成功者が、最初から現在の地位を目指していたかと言うと、違う。

「まさか自分がこうなるとは思わなかった」そう言う人は意外と多い。

例えば、かの伝説のプロレスラー、力道山は元々は力士だった。しかし、力士では成功せず、プロレスラーに転向して日本の歴史に残る人物に大成した。

ただし、一生懸命に真剣にやってみることが大切だと思う。

本当にやってみなきゃわからなんだ。

他にも調べてみると、意外な経歴の持ち主は沢山見つかるだろう。タモリさんも喫茶店、ボーリング場の支配人などを経て現在に落ち着いたそうだ。(リンク先のYouTubeを参照)

やりたいことがない まとめ

最初から目標が明確な人は、目標から逆算して作戦を立て実行すればいいと思います。

しかし、作戦がなければ、とにかくなんでもやってみる、やっているうちに何かわかってきて道ができる、他の道に繋がって作戦が描けてくるようになるんです。

やりたいことがない

どの山を登るか、何処の山頂が見えているのか、ハッキリとわからなくてもいい。

「だいたいこの辺りの山かな?」そんな感覚でも、何処かの山頂には繋がっているものです。

この世界、山が1つだけでポツンとある方が珍しい。

山は1つだけでなく、山々が連なる山脈があり、それぞれ頂がある。

何処を目指すかより、まず、気の赴くことを、初めて一生懸命やってみる。そうすれば見えてくる景色があり、行きたい場所、頂も明確になってきます。

そのことについて岡本太郎 著書の「自分の中に毒を持て」にも書かれていますので、興味があれば読んでみることをお勧めします。

それではまた。

その他の記事もよろしくお願いします。

自分の中に毒を持て
著:岡本太郎


“才能なんて勝手にしやがれだ”
“だめ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ”
岡本太郎の遺した作品と言葉は、いまでも私たちに鋭く問いかけています。
瞬間を生き抜く、岡本太郎のパッションは、強い力をもって私たちの生命にズシンと響くのです。
歓喜と驚きに満ちた人生を、あらためてつかみとってください。

著者略歴

芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。
パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。
40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。
51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。
70年大阪万博で太陽の塔を制作し、国民的存在になる。
96年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。




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